『エモーショナル・デザイン』(D·A·ノーマン)を読んだ

エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために

エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために

  • 作者: ドナルド・A.ノーマン,Donald A. Norman,岡本明,安村通晃,伊賀聡一郎,上野晶子
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 単行本
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ノーマン氏の書籍を読んだのは『誰のためのデザイン?』に続き2冊目。本書は2004年初版ということで、実に15年も昔の本になる。取り上げられる例が古く感じるのが気になるが、主に情動という側面に焦点を当てた本ということで楽しめる。ここでいう情動とは、本能レベル、行動レベル、内省レベルという三段階の認知と情動システムを指している。これら3つが満たされた時、真に人々に受け入れられるモノのデザインができるとノーマンは説いている。

『誰のためのデザイン?』では機能性という側面に着目して行動レベルの話を扱っていた。しかしデザイナーからは「使いやすくはなるだろうが、見かけはひどいものになるだろう」との批判を受けたのだという。そもそも氏は、芸術性や情動を見下すつもりはなかった。デザインの世界で、単に機能性という側面の地位を上げたかったのだと言っている。ノーマン氏はそんな批判に加え、魅力的な美しさと知や、楽しみと使いやすさは共存できるのではないかという疑問から、科学者としての好奇心が駆り立てられ、また2001年からの研究生活の成果として、本書を記すに至っている。

つまり、本書は氏が見下すつもりのなかった「本能的デザイン」や「内省的デザイン」の部分をフォローするような内容となっている。使いやすさの話はほとんど出てこない。

これらデザインの3つのレベルと製品の特性との対応付けが、単純化されて次のように示されていた:

本能的デザイン → 外観
行動的デザイン → 使うことの喜びと効用
内省的デザイン → 自己イメージ、個人的満足感、思い出

エモーショナル・デザイン p.50

使いやすさを究極的に突き詰めていけば、どの製品も画一的な見た目になるだろうし、ブランドの個性というものもなくなっていく。初見での魅力や使い込んでいくうちに紡がれるユーザーと製品との物語とか感情などの話がなくなってしまえば、製品に対して愛着が持てなくもなる。どんなに使いやすくても楽しくなかったら所有したいとか使い続けたいとは思えないだろう。私たちが、数あるチャットサービスの中からSlackを選んだように。

機能性の部分に関しては、ある程度ロジカルに考えることができるし、そのためのわかりやすい手法も開発されている。つまり取り組みやすく成果がわかりやすい。一方、本能的な部分や内省的な部分は個人の感情とも結びついていて、良し悪しは当然あるのだが、それを生み出す難易度は高い。これは経験的に、そして観念として理解される。たった一つのデザインですべての人を満足させることは無理であるから、これは難しい。

本書を読んでいて、情動は、普段私たちが一般にデザインと向き合う時に「感覚」と呼ぶものに近いように思えた。情動に関する知識は、製品のデザインと向き合うときに、デザインのテクニカルな話が、より解像度の高い言語でもって交わされる機会を提供するだろう。

ノーマン氏の「使いやすさ」じゃないところの考えが補完できるという点で、『誰のためのデザイン?』に影響を受けたデザイナーには、ちょっと古い内容だけれど、本書もセットで読んでみることをお薦めしたい。人間中心的なアプローチを客観的に捉えるために。私は本書から、デザインにおける情動と感情、そして芸術性に関する視座を高めることができた。

読書メモ

  • 人の心の動きは、情動は比較的短時間、気分はより長く、性向は数年から一生涯、パーソナリティは一生涯にわたる p.42
  • ブランドとは情動が全てである。情動は判断がすべてである。ブランドは我々の情動反応の記号であり、それゆえに商売においてブランドが非常に重要である p.78
  • 人間中心的なアプローチを反復することは行動的デザインに対してうまく働くが、本能的あるいは内省的な側面には必ずしも適切とはいえない。反復的な方法は、妥協、話し合い、合意によるデザインになる。その結果は安全で効率的なものであることは確かだが、必ずや味気ないものとなる。 p.129
  • デザインそのものがエレガントで美しく、あるいは遊び心もあって楽しいなら、感情システムはやはりポジティブに反応する。p.185
  • 傍観者の無関心。p.194

UIデザインのガイドラインとの付き合い方

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UIデザインの仕事をしていると、iOSやAndroidといったプラットフォームが公開しているデザインのガイドラインとどのくらい折り合いをつけていくかということがしばしば議論の的になります。

私がアプリをデザインする場合は、ウェブのデザインをするときよりもそれを多く尊重しますが、ウェブの場合は独自のガイドラインを重視しています。

ガイドラインの意味

そもそもUIデザインのガイドラインとは何なのでしょうか。端的には、システムの振る舞いやグラフィックとしての表現方法に一貫性を持たせるための指針であると考えています。ノーマン風に言えば、行動的な側面で、デザイナーがシステムイメージを適切にデザインすることを助け、ユーザーのメンタルモデルに寄り添うための指針と言えるでしょうか。デザインシステムではこれを機能パターンや認知パターンというふうに呼び分けていたりします。

ガイドラインに定義された振る舞いを忠実に守るシステムは、それがどのように動作するかをユーザーが容易に想像できます。きっと操作を誤って嫌な体験をしないような準備も万全でしょう。一貫性のあるシステムは一般的に使いやすいと言われます。

人々のUIに関する知識は、特にここ数年の間に、プラットフォームのガイドラインに示されたパターンを(部分的にでも)取り入れてデザインされた、数多のアプリによって底上げされたように感じています。そして私たちデザイナーは、強化されたパターンを自らデザインしているプロダクトに取り入れることで、ユーザーの課題達成を手助けするデザインを素早く簡単に提供できるようになりました。

しかし、私たちデザイナーは盲目的にそれを受け入れてしまって本当に良いのだろうか、という疑問も生まれてきます。プラットフォームが提供するガイドラインは、いわば人々の行動をより良くサポートするためのノウハウ集です。そのエッセンス以上のことまでを取り入れてしまうと、どこかで見たことのあるような無難なデザインに行き着いてしまいます。無難なデザインは悪くはないですが、良いとも言い切れません。

ガイドラインとどう付き合うか

当たり前の機能的な品質を有するためにプラットフォームのガイドラインに寄り添うことは有効ですが、頼りっきりではどうしても思考の幅が拡がっていきません。ストレッチした品質を手に入れるために、ここでは一つの側面として、それとどう付き合っていくかを考えてみましょう。

パターンを知るための教科書として。ただしご利用は計画的に

ガイドラインは、基本的に過去のアイデアをまとめたものです。人々の思うUIの知識が凝縮されているので、人がUIをどのように理解しているかを理解できます。その点で、一通り目を通しておきたいところです。

しかしどんなガイドラインも未完成であること、すべてのシステムにフィットしないことを理解する必要があります。デザインはしばしば新しい対象のための行為ですが、そこには新しい価値観が必ずあるはずです。新しい価値観には常に新しいデザインが必要です。ガイドラインは未来を示してはくれませんから、これに傾倒することは、新しいアイデアの芽を摘み取ってしまうことになり得ます。

冒頭でもすこし触れましたが、私がガイドラインを万能な道具箱のように扱うことをせず、参考程度にとどめている理由の大半はここにあります。パズルを組み立てるだけでは、新しい価値観にふさわしいデザインをすることが難しいと考えているからです。

ただし現実的には、UIとエンジニアリングとの間には密接な関係がありますので、何もかもを無視して良いという話でもありません。

ビジュアル面は強い意志をもって作り下ろす

私たちが普段デザインしているプロダクトのビジュアル面に関するガイドラインは、当然ながらプラットフォームのガイドラインにはありません。これは独自に定義していく必要があります。プラットフォームのガイドラインにあるビジュアル面のパターンは、あくまでそのプラットフォームのものです。これに傾倒すると個性がなくなります。本能的にも内省的にも魅力はあまり感じられないでしょう。使いやすさとバランスをとりながらビジュアル面のトーンやパターンを作っていきます。

未来に向かって

ガイドラインのような整理されたものを見てしまうとついそれが唯一の正解のように見えてしまいがちですが、それがサービスやプロダクトにとって本当にフィットするものなのかどうかは常に気にしたいところです。ガイドラインは薬であり毒でもあります。

堅実な仕事も当然必要ですが、新しさや面白さと向き合う機会を失わないために、ガイドラインとの付き合い方、ひいてはデザインのパターンとの付き合い方を考えてみてはいかがしょうか。

水泳を再開して2年

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水泳を再開して2年が経った。体力を維持するために運動習慣を作ろうと始めたのだけど、今では上達することが目標に変わって、すっかり生活の一部になっている。似たようなことを水泳を再開して10ヶ月という記事でも書いてた。2年も続けばこれからも続いていくんだろうと思っている。100歳のスイマーもいるように、水泳は歳をとっても取り組めるスポーツなのだ。健康は欲しい。

さて、この2年の出来事を、忘れないうちにざっと振り返っておきたいと思う。この歳にもなると仕事をしている中で爆発的な成長を感じることは少なくなるのだが、水泳では毎週何かしらうまくなっていく体験をしていて、自分にはまだ成長できる余地があったんだな〜と分かりやすく実感できて楽しい。

2ヶ月目まで

最初は久しぶりすぎて向こう岸まで行って帰ってくるだけでも大変だった。腕の回し方はわからないし足の打ち方もわからない。何が正解なのか。ただそんなことを考えていても仕方がなかったので、兎にも角にもまず調子をだそうとしていた。この頃は足を吊ることも多く自分が情けなくなったものだ。週1回、平均すると50mを約80秒で泳いでいた。距離は合計1,000m。習慣にすることと、一度に泳げる距離を伸ばしていくことをまずは目標にした。

2ヶ月〜12ヶ月

2ヶ月を過ぎた頃から50mを約60秒で泳ぐようになっていた。水泳部基準では遅いタイムだろうが、非水泳部員としては頑張っているほうではないか。このタイムで泳げるようになってくると速い人レーンの利用ができるようになってくる。ゆっくりレーンで前の人に圧をかけてしまうようになっていたので、申し訳なく思い、速い人レーンに移っていた。しかし、速い人レーンには体力が無限のおじさんおばさん、たまに出没する水泳部員らしき兄ちゃん姉ちゃんに圧をかけられてしまい、のびのび泳げない日々が続いていた。

十分に習慣になってきたところで、自分のライフスタイルを見つめ直す時間も必要だった。高頻度でジムに通う人の話を聞く度に、自分はどうしていこうかと自然と考えていた。このままペースを上げていくのか? 仕事や休養に時間を使うのか? 人生で成したいことから逆算して必要なことなのか? そして、半年経ったくらいから週2日泳ぎに行くようになっていた。

増やしたいときは増やしたらいいし、減らしたいときは減らしたらいい。それだけ。いまは増やしたい時。一度決めたことを変えてはならない理由はどこにもないし、深く考えることはやめた。水泳の時間を作っても仕事の成果量や質は、それ以前と比べてもほとんど変わっていなくて不思議。

この頃はあまりスピードやペースにはこだわっていなかった。泳げば泳ぐほどどういう泳ぎが正しいのかわからなくなっていたので、僕の関心はどうしたら綺麗な(効率的な)フォームで泳げるようになれるのかというところに向かっていた。そこで書籍や動画で勉強をして試すということを繰り返していた。そうこうしているうちに3,000mを泳げるまでに体力が向上していた。

2年目

ある日いつも通りにプールへ着き、2階の受付を目指して階段を登っていると、一枚の張り紙が目に入った。「諸々の事情で1年後に閉館します。これまで地域の皆様に支えられて……」。自分に合った趣味を見つけた矢先に施設の閉館が決まってしまったのだ。閉館は1年後。このまま閉館するまで粘っていてもいずれは出ていかなければならないし、早々に別のプールを探しはじめた。

いくつかのジムも検討したが、最終的には近所にあったスイミングスクールに決めた。スクールという字面からはガチ感が漂っていて、平凡な市民スイマーとしてはハードルが高く、最初は尻込みしたものだが、気にしないことにして無理やり入会した。これがちょうど2018年のGW前。そして、せっかくのスイミングスクールという環境を活かさない手はないと思いレッスンを受けてみることにした。このときから週3回に増やした。

水泳はただ力任せに泳げば良いというものではない。怪我をしにくいスポーツのようにみえるが、そんなことをしていたら簡単に怪我をしてしまう。全身のバランスを整え、故障を予防するような基礎的な筋力や柔軟性を獲得していくことはもちろんのこと、水中における抵抗を減らして推進力を高めるような、効率の良い泳ぎとはどういうものかを学ばなければならない。ここで、先人が研究してきた泳ぎ方のベスト・プラクティスを知る必要が出てくる。

レッスン

レッスンからは多くのことを学んだ。どういう動きを目指すのかという話をきいて、それをやってみる。最初はうまくいかないんだけど、ある日突然これができるようになるときがくる。なぜこういう動きをすべきなのかということを理解したときにその動きができるようになるのだ。それは頭と身体とがつながった瞬間ともいえる。

コーチの何気ない発言の端々にそういったヒントが含まれていたりするのだが、なぜこういうことをコーチが言っているのかということを理解するまでにまず時間がかかる。理解できるくらいまで自分の理解が進んでいなければならないし、理解を実践するためのスキルを習得していないと試すことすらできないからだ。特に身体というものは不自由で、なかなか思ったようには動いてくれない。

最近の関心事ということもあり、人にどうやって物事を教えるのかとか、どうやって人のモチベーションを高めるのか、また1回のレッスンをどうやって設計するのかといった、いわゆるコーチ視点でも現場を観察してしまう。他の生徒はどういうメンタルモデルなのだろうかとか。成長の実感や成功体験を持ち帰ってもらわないと人は続けようとは思わないだろうから、コーチはさすがプロだけあって目標設定がなかなかに上手い。まんまと乗せられている。この点でも学びがある。

Keep

長くなってしまったので、最後にお約束の良かったことコーナーを書いて締めくくりたい。反対に悪かったことはあまりないのだが、しいて言えばプライベートの創作活動の時間がすこし削れていることくらいだろうか。しかし健康には変えられない。

  • 全身の筋肉がついた。特に上半身
    • 筋肉を育てるのが楽しいというのはこういうことかという学び。筋肉かわいい。あと、睡眠失敗して首と肩を痛めてしまうということがなくなった
  • 体調良好・ストレス軽減
    • 一日仕事してても疲れにくくなったし、健康な状態を維持できている
    • 水に入ると溺れるか溺れないかしか考えられなくなるので、仕事や生活のモヤモヤなど吹き飛んでしまう。気持ちが焦っているときに平常時の状態に簡単に戻せる
  • 生活の効率化や健康への意識が高まる
    • 時間を作るために、家事や仕事の効率化に熱心に取り組むようになった。洗濯物を畳むタスク以外は、一定の成果をあげていると思う
    • 丁寧に健康を考えている人ほどではないが、口にするものや栄養について一歩立ち止まって考えるようになった

他の競技と比べてどうみたいなのは特にない。

Try

直近ではより綺麗に泳げるようになることと筋力をつけてスピードにも挑戦していきたいと考えている。それから、まだまだ力不足だろうけど、そろそろ競技会に出ても怒られないくらいにはなってきただろう、ということで、はじめての競技会にエントリーしたのがついこの先日。黙々と泳いでるのも良いけど、たまにはこういうイベントがあったほうが、普段のワークアウトにも弾みがついて良いだろう。競技会の様子はまた記事を書きたい。

伊藤守『コーチング・マネジメント』を読んだ

コーチング・マネジメント―人と組織のハイパフォーマンスをつくる

コーチング・マネジメント―人と組織のハイパフォーマンスをつくる

良いコーチに備わっているコンピタンシーとはどのようなものなのかを学べる書籍でした。実践的なコーチングのスキルも大事ですが、その背景にある考え方を知ることができたのが良かったです。自分より若いデザイナーの成長を支援するためにできることはないかと思い手にとってみたのですが、案の定様々な学びがありました。やはりスキルに関しては、いくら頭に入れたとしても場数を踏まないことには伸びていかないと思うので、ひとつずつ挑戦かなと思います。

クライアントの技能や職務、コーチングしようとする領域によってコーチングが機能するかどうかが変わってくるそうです。それもそのはずで、基礎的な知識や技能がある一定以上ないと、行動を促されたとしても実際の行動までつながらない場合もあるでしょうし、高度な技能が必要な仕事に取り組もうとしているときは具体的に教えていったほうが現実的な場合もあります。

なんとなくティーチングよりもコーチングのほうが高尚な行いのようなイメージがあったのですが、どちらも大事だよなと、最終的には認識しています。自分の場合だと、基本的には仕事上のメンター・メンティーの関係でどうするかという話になるので、同じ職種の相手をみているからでしょうか、コーチングの態度だけでは仕事を進めるのにはちょっともの足りないという感覚です。小並感ですが、要は塩梅で、コーチングの姿勢をベースにしつつも、目の前の状況で使い分けていくのがいいのかなと思っています。実践しながら自分のスタイルを徐々に作っていきたいところです。

読書メモ

  • ゴルフを教えないゴルフコーチ
  • 考え方ややり方に直接関わるというよりは環境を整えることに注意を向ける
  • オートクラインとパラクライン
  • パーソナルOS
    • 変える必要のないOSは、性格、価値観、タイプ、ハイパフォーマンス・パターン
    • バージョンアップできるOSは、ものの見方、ものの捉え方
  • WHYはクローズドクエスチョンに用いられることが多い。そこで、HOWやWHATを使う
    • WHATは潜在的な問題をはっきりさせることができる
    • HOWは潜在的な問題に焦点を当てて、発展させることができる
  • チャンクアップとチャンクダウン
  • 目標設定の検証
    • 外部基準をはっきりさせる
    • 目標に向かう過程で何を学ぶことができるか
    • 目標に向かう過程でどんな体験をするか

じゃじゃーんをやめる

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日頃デザイン案をどの段階で他者に見せていますか。僕は最近、途中でもできるだけ早い段階でチームメンバーにデザイン案をオープンにしていくということを試してみています。

具体的には、Adobe XDでウェブデザインのモックアップを作成しているのですが、プレビューのシェアURLをグループウェアやGitHubのIssueに貼っておくというものです。翌日には新しいボタンが増えているかもしれないし、一週間後にはガラッと印象が変わってるかもしれない、という断りも添えて。

最初からほぼ最終の段階まで誰にも見せずに、多くの時間をかけてからできましたとメンバーに見せること。これをじゃじゃーんと呼んでいます。これはチームで仕事をしていく上では次の点からアンチパターンでしょう。

  • 向かう方向が見当違いだった場合に手戻りが多く発生する
  • 他者からみると順調なのか困っているのかわからない
  • 他者の仕事をブロックする可能性がある

ただ、人それぞれにペースがあるでしょうから、ある程度手元で温めることは何ら問題がないとは思います。僕も数週間の間、アイデアを秘密にしておいて、温めているケースはあります。

では、じゃじゃーんをやめて、早い段階でデザイン案をオープンにすることにはどんなメリットがあるのでしょうか。

じゃじゃーんをやめるメリット

最終的なアウトプットさえよければ、正直どんなプロセスであっても良いと思いますが、それでも早い段階からデザイン案をオープンにしていくことは、それをしないことに比べてメリットが多いと考えています。

  • 見当違いのものを考えることに時間を使ってしまうことを防げる
  • 何が良くて何が良くないかのデザイン品質に関する対話が増える
  • 他職種の視点からデザインの過不足について意見が集まる
  • デザインのプロセスにチームメンバーが参加することで「チームでプロダクトを作った」というストーリーが生まれ納得感が強まる
  • 人に見られている感覚が強まり、自分をモチベートできる
  • 案を練っている間、他者から見て何をしている人なのかわからない状態を減らせる

テクニカルなものから仕事の進め方まで様々なメリットを日々感じています。

じゃじゃーんをやめるリスク

逆に早い段階からオープンにすることは、デザイナー視点でいくつかのリスクがあるかもしれません。

  • 他者の意見に揺さぶられてデザインが丸くなってしまうリスク
  • デザイナーの主体性が失われてしまうリスク
  • 不本意なコミュニケーションコストが発生してしまうリスク

これらは仕事の進め方やメンバーとの関係性の中で、うまく立ち回ることができれば問題にならないものでもあります。

必ずしも0か1かにこだわる必要はありませんので、どのくらいオープンにしていくことが自分にとって最もパフォーマンスが出せるのか、ちょうど良い塩梅を見つけてみてください。

ちなみに受託案件の場合、クライアントに対してあまりにも早くから共有してしまうと、逆にネガティブな印象を与えてしまう場合があるかもしれないので注意が必要です。目に見えるものは独り歩きしやすく、デザイナーにとってのスケッチが最終成果物のイメージと捉えられてしまう事があるからです。これはプロジェクトの状況やクライアントとの関係性に応じて上手に処理する必要があります。

  *

効率的なデザイン活動とより高品質なデザインを目指すならば、デザインのプロセスをオープンにして他者と対話する機会を増やしてみましょう。最初は怖いかもしれませんが、様々な人の目に触れることで思いもしなかった意見が集まり、学びを得られます。何より人とデザインの話をするのは楽しいことですよね。